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大田原の人物

旧大田原市に関係の深い人物をピックアップしています。

  • 「記載欄」は「栃木県歴史人物事典」(下野新聞社1995刊)の記載の有無。
  • 主に「栃木県歴史人物事典」「新大田原読本」より作成しました。

[ 江戸以前 / 明治以後 ]

生年・活躍年が江戸時代以前の人

人物名事跡生年没年記載
那須与一
(なすのよいち)
那須資隆の11子。源平合戦で扇の的を射る。墓が佐久山玄性寺に。
那須資之
(なすすけゆき)
室町前期の武将。福原城主。 1428
飯尾宗祇
(いいおそうぎ)
著書「白河紀行」に大田原の記述 1421 1502
大関高増
(おおぜきたかます)
大田原資清の子。大関氏を継ぐ。近世黒羽藩の祖。 1526 1598
大田原忠清
(おおたわらただきよ)
大田原氏の祖
大田原康清
(おおやわらやすきよ)
1494年ころ武蔵国から下野那須へ移る
大田原資清
(おおたわらすけきよ)
1545年ころ大田原城を築き水口より移る 1560
大田原晴清
(おおたわらはるきよ)
天正18年、豊臣秀吉の小田原攻めの時秀吉に従う。小田原城落城後、秀吉は奥州進軍の時、大田原城に宿泊する 1567 1631
大田原勝清
(おおたわらかつきよ)
最後の大田原城主。明治2年大田原藩知事に任ぜられる 1861 1930
大高源五
(おおたかげんご)
赤穂義士の1人。墓が佐久山実相院に。 1672 1703
小野寺重三
(おのでらじゅうぞう)
大高源五の実弟。赤穂義士の1人。墓が佐久山実相院に。 1703
笠間玄仲
(かさまげんちゅう)
江戸後期、大田原宿の町医。狂歌師。1822年十返舎一九の訪問を受ける。
山口鉄五郎
(やまぐちてつごろう)
江戸後期の代官。山口堀を開削。八木沢村に出張陣屋を開く。 1821
金枝柳村
(かなえだりゅうそん)
大田原藩校・時習館教授。別名(健) 1829 1879
関谷庫太
(せきやくらた)
佐久山大沢開墾に尽力。用水堀は1866年に竣工。

生年・活躍年が明治以降の人

人物名事跡関係地区生年没年記載
安藤二郎
(あんどうじろう)
農業改良普及の実践者 金田 1887 1961
石井徳四郎
(いしいとくしろう)
染料発明家。赤色染料は郵便切手や食紅で広く実用化。手塚カネの弟。 佐久山 1888 1928
印南嵐
(いんなみあらし)
私学・興風校塾生1500名余の逸材を世に送る。明治6年大田原学校初代校長 金田 1836 1912
印南渓龍
(いんなみけいりゅう)
僧侶・書家。「讀賣新聞」の題字の筆者。豊道春海の長子 佐久山 1905 1983
印南丈作
(いんなみじょうさく)
日光生。文久2年佐久山の印南丈七の養子となる。那須疎水の開拓者 佐久山 1831 1888
印南博吉
(いんなみひろきち)
保険経済学者。明治大学名誉教授 大田原 1903 1990
海老原敬吉
(えびはらけいきち)
治金学の権威 大田原
大島弓子
(おおしまゆみこ)
漫画家。大田原女子高等学校卒(昭和41年) 大田原 1947
大島頼光
(おおしまらいこう)
公認会計士。石上小学校に旧体育館を寄付。 野崎 1902
小山田二郎
(おやまだじろう)
油絵画家。旧制大田原中学校卒。 大田原 1914 1991
片柳忠男
(かたやなぎだだお)
宣伝広告で活躍。一陽会の中心メンバー。 大田原 1908 1985
川上正光
(かわかみまさみつ)
元東京工業大学学長。名誉市民。 大田原 1912 1996
川上保太郎
(かわかみやすたろう)
1925年大田原町長。東野鉄道の会社設立に参与。 大田原 1865 1935
国井淳一
(くにいじゅんいち)
東洋大学理事長。農民文学者。1934年親園村長。 親園 1902 1974
河野文彦
(こうのふみひこ)
元三菱重工社長。飛行機「神風号」設計者。 大田原 1896 1982
小室重弘
(こむろしげひろ)
佐久山で活躍した民権運動家。 佐久山 1857 1908
西郷従道
(さいごうつぐみち)
大田原市西郷農場の創設者。西郷隆盛の実弟。 1843 1902
品川弥二郎
(しながわやじろう)
品川開墾(湯津上村・大田原市)の創始者。 1843 1900
鈴木昌道
(すずきまさみち)
造園家。清瀬駅北口広場、矢板市長峰公園、大田原高校庭園など。 佐久山 1935
関谷充
(せきやみつる)
彫刻家。国画会会員。名誉市民。 親園 1903 1983
高瀬伝
(たかせでん)
政治家。衆議院議員当選7回。 親園 1898 1969
高野はま
(たかのはま)
歌人。本町の成田山遍照院に夫と転住。 大田原 1893 1970
高橋和枝
(たかはしかずえ)
声優。サザエさんのカツオなど。大田原女子高等学校卒 佐久山 1929 1999
高橋安雄
(たかはしやすお)
公衆衛生に功労。県文化功労者。 親園 1904 1982
瀧田貞治
(たきたていじ)
西鶴研究の第一人者。台北帝国大学助教授。 佐久山 1901 1946
田代荒次郎
(たしろこうじろう)
印南丈作らとともに那須開墾社創設。下野綿布会社創設 大田原
田代善吉
(たしろぜんきち)
黒磯市出身。郷土史家。箒川列車転覆事故に遭遇。供養碑建立。 野崎 1876 1955
津久井龍雄
(つくいたつお)
大正・昭和期の国家社会主義者。雑誌「日本社会主義」発行 大田原 1901 1989
手塚カネ
(てずかかね)
教育者。日本女子大学教授。著書「家庭向西洋料理」石井徳四郎の姉。 佐久山 1880 1944
寺本儀作
(てらもとのりさく)
山梨県出身。大正14年地方政治を志し大田原町会議員となる 大田原 1878 1945
原田鋼
(はらだごう)
政治学者。著書「法治国家論」89年文化功労者。 大田原 1909 1992
人見伝蔵
(ひとみでんぞう)
郷土史家。大田原藩の研究に功績。県文化功労者。 大田原 1875 1957
平田東助
(ひらたとうすけ)
品川弥二郎の養女と結婚。弥二郎とともに品川開墾に尽力。 親園 1849 1925
平塚雷鳥
(ひらつからいちょう)
大正11年、家族で佐久山に滞在 佐久山 1886 1971
福原達朗
(ふくわらたつろう)
陶芸家。春陽会、二科会会員。県文化功労者。 佐久山 1905 1974
藤田吉享
(ふじたよしはる)
大田原藩士。大田原町初代・6代町長。県北初の衆議院議員。 大田原 1839 1923
豊道春海
(ぶんどうしゅんかい)
書道家。名誉市民、文化功労者。「足利銀行」「三井銀行」の看板文字の筆者 佐久山 1878 1970
北條諒齋
(ほうじょうりょうさい)
父は大田原藩医。種痘学の先駆者。那須で先駆的に種痘を実施。 大田原 1821 1891
益子洋
(ましこひろし)
水彩画家。白日会会員。 大田原市 1910 1988
益子万吉
(ましこまんきち)
大田原町長の後、初代大田原市長。 大田原 1893 1966
松本調平
(まつもとちょうへい)
黒羽藩士。農業書「勧農教諭書」 金田 1818 1889
松山ちよ
(まつやまちよ)
歌人。福原の竹尾家に生まれる。福原愛宕山に自筆の歌碑。 佐久山 1893 1990
水上勉
(みずかみつとむ)
小説家。小説「箒川」に大田原の記述。 大田原 1909
三津木貞子
(みつきていこ)
小説家。雑誌「黒潮」に処女作「鍵」を発表。手塚カネの妹。 佐久山 1883 1945
村上英俊
(むらかみえいしゅん)
1854日本初の仏英蘭単語帳「三語便覧」日本初のレジョン・ド・ヌール勲章受賞 佐久山 1811 1890
村上勘二郎
(むらかみかんじろう)
県下初のキリスト教会を建てる。村上銀行、佐久山郵便局を設立。 佐久山 1840 1904
森詠
(もりえい)
小説家。大田原に疎開。「オサムの朝」では昭和20年代の大田原が描かれている 大田原 1941
八木沢啓造
(やぎさわけいぞう)
竹工芸家。県文化功労者。 野崎 1927
山田武
(やまだたけし)
法律家。宇都宮代言人(弁護士の前身)組合長、弁護士会初代会長。 大田原 1858 1901
渡辺国武
(わたなべくにたけ)
大田原城址・うぐいす谷公園の元所有者。長地農場を開拓。 大田原 1846 1919
渡辺留吉
(わたなべとめきち)
山形県生。旧制大田原中学教諭。著書「那須野の科学」 大田原 1871 1953